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1960年代のアメリカと映画「The Hurricane」

 当ブログでよくコメント頂く KONMA08 (id:konma08) さんのオススメ映画を鑑賞しました。

KONMA08さんのブログはこちら↓。

konma08.hatenablog.com KONMA08さんは主として鑑賞した映画の感想と5人のお子さんたちとの寸劇のような会話をブログ記事としてアップされております。ご存じない方は是非一度はお立ちよりくださいな。

ボブ・ディランーハリケーン

www.youtube.com(一応、自称音楽系ブログなので劇中歌はっとこ。)

 

 というわけで今回は映画「ハリケーン」の感想をネタバレしない程度に書きつつ、背景にあった「人種差別」について書いてみます。

 あ、ネタバレしないのは約束できないからね!

 

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「映画内」1937年にニュージャージーカターソンに生まれた主人公ルービン・カーター。少年時代は黒人差別が酷くそのほとんど少年院で過ごしたそう。色々あってルービン・カーターはボクサーになり、破竹の快進撃(14戦11KO)を続け、1966年6月17日、に起こった白人3人を殺害した、という罪で逮捕される。判決は終身刑

 

「歴史上」ざっくり言うと南北戦争は100年位前に終結していて、1964年には公民権法制定(それまではジム・クロウ法という人種隔離政策)されたにも関わらず、黒人差別は根強く残っていた時期のようです。ちなみに1963年には有名な「ケネディ大統領暗殺事件」が起きており、表向きには犯人も動機も謎のままですが、ケネディ大統領は黒人の人権と自由について相当な努力を計っていた人物でもあります。

おや?…誰か来たようだ…。

 

「映画内」1974年にルービン・カーター獄中より出版した本「The Sixteenth Round(意訳:16ラウンド)」を本の中古市で手に取る15歳の黒人少年レズラ・マーティン。この少年がのちにルービン・カーターの人生を大きく変える事になります。レズラ・マーティンもスラム街で生まれ栄養不足の為15歳で身長150㎝に届かないという状態から、見かねたカナダ人夫妻がカナダで大学に進ませるために引き取り、この本と出合うのでした。

 

「歴史上」1970年代は黒人差別は以前続いいていたものの黒人の人権は高まり、黒人差別関連の大きなニュースが見当たらない(50’60’が多すぎるのかも)ようで、白人にも人種差別に反対する姿勢が多く見れます。例えば冒頭のボブディランによる楽曲「ハリケーン」は、まさにこのルービンカーター事件の事を歌った曲で、そしてボブディランはご存知の通り白人でした。2018年現時点ではことさら黒人に対する人権差別というのはあまり感じられない(もちろん細部では残っているとは思うが)と思うのですが、911テロやオバマ大統領の当選によって人種差別や人種隔離に肯定的な意見が出てきてるとか…なんで?

※ボブディランは白人ではあるものの被差別対象だったのユダヤ人であるのも事実。

 

「映画内」レズラ・マーティン少年は「The Sixteenth Round」を読み、主人公と自分を重ねて他人とは思えなくなってきます。最初字の読み書きができなかったレズラ少年が手紙のやり取りをはじめ、実際に面会に行き、心を交わしていく中でルービン・カーターは再審を上告する勇気をもらっていきます。同時にレズラ少年は勉強して弁護士になって冤罪事件に苦しめられている人を助けるのが自分の生まれた使命だと感じるように。

 

「歴史上」レズラ少年、読み書きができない状態から3年でカナダ最難関のトロント大学に合格!。素直にすごい。80年代は70年代に引き続き大きな人種差別問題は起こっていないようです。これは「黒人のスター」が出てきて社会的に認める寛容さが出てきているためだと思われます。実は60年代にはマーヴィンゲイ、スティービーワンダー、ジミヘンドリックスなどの著名なミュージシャンもおり、70年代はアースウインド&ファイアー、ジャクソン5、クールアンドザギャング等。80年代に入るとジョニーギル、マイケルジャクソンがスリラーを発表、ホイットニーヒューストンも80’デビューですね。

 

「映画内」レズラ少年とカナダ人協力者の3人達はロ-ウェイ州立刑務所のすぐ近くに引っ越しし、証拠の精査を始めます。次々と見つかる「偽証」の痕跡、そして弁護士に郡裁判所ではなく連邦裁判所での再審をお願いするルービン・カーター。連邦裁判所で「新証拠」が却下された場合、二度と証拠として提出できない可能性がある。何でかは知らない。カーターの強い要望をかなえる形で、郡裁判所をすっ飛ばし連邦裁判所へ持ち込む弁護士。連邦判事のサロキン判事から放たれる言葉は…

↑なんでここだけフォント違うん…?

 

ネタバレを防ぐならこの辺でやめましょうか…。

 

 既に解っている通りハッピーエンド(20年以上投獄されてハッピーエンドといえるかどうかは置いといて。)なのですが、人種の坩堝アメリカが100年以上抱えている人種問題を映画という形で知る事が出来る一作でした。またほぼノンフィクションで構成されており、ルービンカーター事件について、人種差別について強く考えさせられる一作でもありました。もちろん映像作品としても一品でしたので、こういったヒューマン系映画お好きな方は是非ご一瞥を。

 

 本映画を観て、そしてこの記事を書いている最中、黒人差別関係、南北戦争以前の黒人奴隷の資料をwebで探してみておりました。少し不思議に思ったのは50'60’年代はまだ黒人差別の色濃い時代であるにもかかわらず、黒人のミュージシャン等は結構いたって事。おそらくですが、黒人差別主義者的な人々と、人種融合主義的な人がそれぞれ一定数いたのだと思われます。

参考サイト

www.buzzfeed.com

 上記サイト様では人種差別の激しかった時代の写真を掲載しておられますが、常に凄惨な事件が起こっていたわけではなく、例えばレイチャールズのように故郷のジョージアで人種隔離政策が行われた時は「もうコンサートしねぇから」と発言。黒人差別をする所では歌わないとボイコットしました。つまり発言権はあったようです。

www.youtube.com

のちにジョージア州は人種隔離政策を撤廃、レイチャールズの「Georgia On My Mind」を正式な州歌としました。名曲だしね。

 同時に、黒人差別をよく思わない「白人」もかなりいた模様。先ほどのサイト様では黒人差別反対運動に参加した「白人」が同じ白人から暴行を受けた写真もあります。確かに凄惨な事件はありましたが、常に凄惨な状態であったとは言い難いようですね。同時に確実に黒人差別があったとも言えますが。

 

 もともと黒人奴隷として1619年にアフリカよりつれてこられた黒人たちは、輸送状態や西部、南部開拓初期は相当の犠牲を強いられたり、現在では当たり前の「人権」は無かったものの基本的には家族単位での生活を送っていたようです。というのも当時黒人奴隷は農場での労働を強いられていましたが、農場主にとって奴隷は「資産」でもありました。(抵当に入れることもできたとか)。そのためあまり過度に虐待したりしたら(一応所有者にはその権利が認められていた)反乱の恐れもあったり、どうせならそこそこに使って子供も産んでもらって(子供も奴隷になるので≒資産が増える)増えてくれた方が良かったようです。

 

 ま、どっちにしろそろそろ人種差別は完全になくなってほしいですよね。

 

 

 

結局日曜日じゃないか、筆記スピードがほしいなぁ。

では今日はこの辺で…。

 

 

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